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	<title>三谷徹男Blog　「Insight」 &#187; ISOと問題解決</title>
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	<description>株式会社CRI中央総研 会長CEOブログ</description>
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		<title>ISOは科学的アプローチをすすめる（２）</title>
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		<pubDate>Wed, 26 Dec 2012 06:52:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[ISOと問題解決]]></category>

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		<description><![CDATA[『プロフェッショナルは「ストーリー」で伝える』（アネット・シモンズ著 海と月社）は良書だ。この本を手にした理由は「ビジネスモデル・ジェネレーション」（アレック・オスターワルダー＆イヴ・ビニョール著 SHOEISHA）に感化を受けたからだ。タイトルをみて難しい本と思わないで欲しい。要は「ストーリー」「ストーリーテリング」ということ。今日、有能なビジネスマンに会った、初対面である。彼は、ビジネスマンとしての生い立ちを、ものの数分で述べ、我々から幾つもの質問を受けた。その分で、彼のストーリーテリングは成功したと言って良い。この稿で言いたいのは、実はISO9001もストーリーテリングであるということだ。 １．断片的知識はほとんど役に立たない 例えば、マーケティング。マーケティングは商品開発、事業開発のことであろう。それを、マーケティングの本を読んで、3C分析だ、PPMだ、いやSWOTだと言って、それぞれのパーツに詳しくなって、得意然としても、目的である商品や事業を創り出すことが出来なければ、何の意味もない。マーケティングが知識の範囲を超えない以上、中小企業の社長の発想力と行動力には及ぶまい。経営管理を知識ベースで捉えること自体が過ちである。いや、知識を否定するものではないが、経営あるいは経営管理とはそういうものだろうとあらためて思う。 ２．科学的アプローチと標準 改善技法であるJMやIEは、作業を細かく分析する。細かく、細かく分けて、その中のムダを発見して、新たな作業のやり方を構築してそれを標準とした。科学的アプローチの一大成果である。その延長は、我々の思考方法にまで及ぶ。思考のムダも発見して、問題解決についての手順化を行った。先ずは、現状把握から入って原因を発見するのである。次に、主たる原因を特定して対策を練るのである。と言うくだり。まさに、手順化された思考プロセスは我が国の「カイゼン」を支える思考技術となった。が、問題がある。思考の硬直化である。それは、1990年バブル崩壊とともに発生した事業創造への対応不足であった。この時代の中心的世代は既に退職したので、今更、言及する必要はないが、ロボットのように手順化された思考は逆に創造を蝕んでしまった。 ３．科学的アプローチとシステム思考 1990年以降はシステム思考の再登場である。数段高度化して我々の前に登場した。その代表例がISO9001である。顧客ニーズを満足する経営システムは幾つかの要素から成る。その要素をバランスよく満足することで、顧客の期待を創り出すことができるのだというもの。それを「仕組み」と評した。ISO以前は、プロセス即ち工程改善が品質確保の重要課題だった。それは違うと皆感じてはいたが、時代の趨勢に逆らう者はいなかった。つまり、要素の連鎖。これが全体をつくっているのだという認識。この糸を「ストーリー」あるいは「ストーリーテリング」と言うことにする。現場の社員も、一要素の責任者（オーナー）ではない。つながる糸を携える一人だと言う認識。顧客の満足をつくり出す「ストーリー」を語れる一人という意味がISO9001に隠されている。だから、システム、オーガニゼーション、チームと言う言葉が重要になる。 ４．マーケティングらしいマーケティング ISO9001はマーケティングテキストである。ISO9001をよく読んでほしい。これはマーケティングのテキストです。もう一つ、目標管理のテキスト。いやその合体。なんと素晴らしきかな。「ビジネスモデル・ジェネレーション」を先に持ち出した。これは、画期的で脱帽である。この書の良さは、初めて知を繋ぐことをしたということ。それも極端な手順化ではない。むしろキャンバス上で人々が創発しながら絵を描く（システムをつくる）というもの。パーツの総合であり統合である。これが、本来の学問ではないか？実学ならばなおさらではないか？知は知っている者と知らないものの隔たりをつくる。情報なんてもっとそうだ。それが、階層や職能をつくる根拠となっている。おかしなことです。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: left;">『プロフェッショナルは「ストーリー」で伝える』（アネット・シモンズ著 海と月社）は良書だ。この本を手にした理由は「ビジネスモデル・ジェネレーション」（アレック・オスターワルダー＆イヴ・ビニョール著 SHOEISHA）に感化を受けたからだ。タイトルをみて難しい本と思わないで欲しい。要は「ストーリー」「ストーリーテリング」ということ。今日、有能なビジネスマンに会った、初対面である。彼は、ビジネスマンとしての生い立ちを、ものの数分で述べ、我々から幾つもの質問を受けた。その分で、彼のストーリーテリングは成功したと言って良い。この稿で言いたいのは、実はISO9001もストーリーテリングであるということだ。<span id="more-91"></span></p>
<p><strong>１．断片的知識はほとんど役に立たない<br />
</strong>例えば、マーケティング。マーケティングは商品開発、事業開発のことであろう。それを、マーケティングの本を読んで、3C分析だ、PPMだ、いやSWOTだと言って、それぞれのパーツに詳しくなって、得意然としても、目的である商品や事業を創り出すことが出来なければ、何の意味もない。マーケティングが知識の範囲を超えない以上、中小企業の社長の発想力と行動力には及ぶまい。経営管理を知識ベースで捉えること自体が過ちである。いや、知識を否定するものではないが、経営あるいは経営管理とはそういうものだろうとあらためて思う。</p>
<p><strong>２．科学的アプローチと標準<br />
</strong>改善技法であるJMやIEは、作業を細かく分析する。細かく、細かく分けて、その中のムダを発見して、新たな作業のやり方を構築してそれを標準とした。科学的アプローチの一大成果である。その延長は、我々の思考方法にまで及ぶ。思考のムダも発見して、問題解決についての手順化を行った。先ずは、現状把握から入って原因を発見するのである。次に、主たる原因を特定して対策を練るのである。と言うくだり。まさに、手順化された思考プロセスは我が国の「カイゼン」を支える思考技術となった。が、問題がある。思考の硬直化である。それは、1990年バブル崩壊とともに発生した事業創造への対応不足であった。この時代の中心的世代は既に退職したので、今更、言及する必要はないが、ロボットのように手順化された思考は逆に創造を蝕んでしまった。</p>
<p><strong>３．科学的アプローチとシステム思考</strong><br />
1990年以降はシステム思考の再登場である。数段高度化して我々の前に登場した。その代表例がISO9001である。顧客ニーズを満足する経営システムは幾つかの要素から成る。その要素をバランスよく満足することで、顧客の期待を創り出すことができるのだというもの。それを「仕組み」と評した。ISO以前は、プロセス即ち工程改善が品質確保の重要課題だった。それは違うと皆感じてはいたが、時代の趨勢に逆らう者はいなかった。つまり、要素の連鎖。これが全体をつくっているのだという認識。この糸を「ストーリー」あるいは「ストーリーテリング」と言うことにする。現場の社員も、一要素の責任者（オーナー）ではない。つながる糸を携える一人だと言う認識。顧客の満足をつくり出す「ストーリー」を語れる一人という意味がISO9001に隠されている。だから、システム、オーガニゼーション、チームと言う言葉が重要になる。</p>
<p><strong>４．マーケティングらしいマーケティング</strong><br />
ISO9001はマーケティングテキストである。ISO9001をよく読んでほしい。これはマーケティングのテキストです。もう一つ、目標管理のテキスト。いやその合体。なんと素晴らしきかな。「ビジネスモデル・ジェネレーション」を先に持ち出した。これは、画期的で脱帽である。この書の良さは、初めて知を繋ぐことをしたということ。それも極端な手順化ではない。むしろキャンバス上で人々が創発しながら絵を描く（システムをつくる）というもの。パーツの総合であり統合である。これが、本来の学問ではないか？実学ならばなおさらではないか？知は知っている者と知らないものの隔たりをつくる。情報なんてもっとそうだ。それが、階層や職能をつくる根拠となっている。おかしなことです。</p>
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		<title>ISOは科学的アプローチをすすめる（１）</title>
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		<pubDate>Thu, 13 Dec 2012 05:34:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[2015年にISO9001が大改訂を行う。大いに結構なことです。本稿は、当たり前のことながらISOは科学的アプローチを推奨していることを再度述べようと思う。だから科学なるものを我々も承知していなければならいのだが、実際のビジネスは非科学的な接近が多すぎる。暖簾をかき分けながら入ってきたサラリーマンが、さんざん上司の悪口を言って、肩組んで出ていく姿は、今は懐かしい風景だが、このような非科学的接近は結構、散見する現象だ。これを否定するものではない。それはそれで本人はスッキリするのだから。しかし、そこで彼らが述べた“問題”が解決された訳ではないだろう。だから、この問題を解決する意思と方法が必要だと思う。それが科学的アプローチのすすめだ。 １．ISO9001にみる問題解決の“筋” 例えば、規格の７.1.cに「 その製品のための検証，妥当性確認，監視，測定，検査及び試験活動，並びに製品合否判定基準」とある。検証？妥当性？そこで辞書で調べてみると、「検証とは、真偽を確かめること。事実を確認・証明すること」とある。「妥当性とは、実情などによくあてはまり、適切である性質」とある。何を確認し、何を適切とするのだろうか？実は、これこそが科学の真髄だ。「科学者は新しい考えに反論し、実験あるいはデータ分析によってテストし、誤ったものを捨てて真実のみを残す。提出された考えにこのように反論することこそ、科学的思考の根幹と言えよう。客観的に検証可能な事実によって証明できなければ科学的とは言えない」（リチャード･P･ルメルト）というように、科学的思考のフィルターを通すことで、規格要求事項を解釈することができる。 ２．データのないISOとデータだらけのISO ISOは一義的には提供される製品やサービスの信頼性であり品質保証だ。その製品やサービスの信頼性を担保する実験やデータなくして、信頼してくれと言われても少々困る。特に生命に関わる製品であれば尚更だろう。反対に、データだらけで、そのデータ間になんら脈絡もなく、しかも、データを取っている人も意味も分からずに取っているのだとしたら、データに説得力を欠き、その人のアイデンティティまで奪ってしまうことになる。実験を繰り返しながらAという仮説を、BやＣのデータで（その相関関係を）説明出来たらどんなに嬉しいことか。ビジネスに科学を適用した。だから実証的（つまり客観的に検証可能な事実で）かつ実際的な方法で接近することがすすめられる。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>2015年にISO9001が大改訂を行う。大いに結構なことです。本稿は、当たり前のことながら<strong><em>ISO</em></strong><strong><em>は科学的アプローチを推奨</em></strong>していることを再度述べようと思う。だから科学なるものを我々も承知していなければならいのだが、実際のビジネスは非科学的な接近が多すぎる。暖簾をかき分けながら入ってきたサラリーマンが、さんざん上司の悪口を言って、肩組んで出ていく姿は、今は懐かしい風景だが、このような非科学的接近は結構、散見する現象だ。これを否定するものではない。それはそれで本人はスッキリするのだから。しかし、そこで彼らが述べた“問題”が解決された訳ではないだろう。だから、この問題を解決する意思と方法が必要だと思う。それが科学的アプローチのすすめだ。<span id="more-88"></span></p>
<p><strong>１．ISO9001</strong><strong>にみる問題解決の“筋”</strong><br />
例えば、規格の７.1.cに「 <span style="text-decoration: underline;">その製品のための検証，妥当性確認，監視，測定，検査及び試験活動，並びに製品合否判定基準</span>」とある。検証？妥当性？そこで辞書で調べてみると、「<strong><em>検証とは</em></strong>、真偽を確かめること。事実を確認・証明すること」とある。「<strong><em>妥当性とは</em></strong>、実情などによくあてはまり、適切である性質」とある。何を確認し、何を適切とするのだろうか？実は、これこそが科学の真髄だ。「科学者は新しい考えに反論し、<strong><em>実験あるいはデータ分析</em></strong>によってテストし、誤ったものを捨てて真実のみを残す。提出された考えにこのように反論することこそ、科学的思考の根幹と言えよう。<strong><em>客観的に検証可能な事実</em></strong>によって証明できなければ科学的とは言えない」（リチャード･P･ルメルト）というように、科学的思考のフィルターを通すことで、規格要求事項を解釈することができる。</p>
<p><strong>２．データのないISO</strong><strong>とデータだらけのISO<br />
</strong>ISOは一義的には提供される製品やサービスの信頼性であり品質保証だ。その製品やサービスの信頼性を担保する実験やデータなくして、信頼してくれと言われても少々困る。特に生命に関わる製品であれば尚更だろう。反対に、データだらけで、そのデータ間になんら脈絡もなく、しかも、データを取っている人も意味も分からずに取っているのだとしたら、データに説得力を欠き、その人のアイデンティティまで奪ってしまうことになる。実験を繰り返しながらAという仮説を、BやＣのデータで（その相関関係を）説明出来たらどんなに嬉しいことか。ビジネスに科学を適用した。だから実証的（つまり客観的に検証可能な事実で）かつ実際的な方法で接近することがすすめられる。</p>
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